山の辺文化会議 2012-05-27
昼から山の辺文化会議の総会があるのだが 図書館で調べたいことがいろいろ有ったので 早めに家を出て 天理文化センターの駐車場に車を入れ 2階の図書館に行った 調べたいことの一つは 私たちは日記を書くに当たって 当然のように 晴れとか雨とか 当日の天候を書く 時には気温までも書いている このような日記の書き方は 子供のころに夏休みや冬休みに 宿題として日記を書かされた その時の日記帳の形式が 今でも日記の書き方として残っているのだった しかし昔はどうだったのだろうか 私たちのご先祖様たちは 私たちと同様に晴れとか雨とか書いていたのだろうか それが知りたかったのだ 11世紀のころは「天晴」「雨下」などと書いていたことは藤原道長(966-1028年)の日記 「御堂関白記」の原本写真を見て判っている 問題は 近世も同じ書き方が踏襲されていたのかどうか 「天晴」ではなく「空晴」という書き方が行われていたのかどうかが知りたかった 書架の日本の歴史のところを見ていて 一冊の本が目にとまった 文春新書 鴨下信一「面白すぎる日記たち」平成11年5月刊 だ パラパラとめくってみると 日本人は日記が好きで 昔から多くの人が日記を書いている そしてその書き方には日付と天候とがセットになっている として藤原定家(1162-1241年)の「明月記」を取り上げているのだった 明月記もまた御堂関白記と同様に「天晴」「雨下」の書き方なのだった さて こんな事をしている間に 総会の時間が近づいてきたので3階の会場に向かった そして滞りなく総会も終わり 和田萃先生の記念講演「影媛」を聴いた 昔は「光」のことを「影」と言った 「月影」とは月の光が届かない暗闇ではなくて 月光のことを言うのだ だから影媛もほんとは光輝く姫君で かぐや姫やそとおり姫のような絶世の美女だったに違いない だからこそトピックとして日本書紀に書き残されているのだろう ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-27 20:42
健康講座 2012-05-26
「死病」は日本国語大辞典によると 読みは「しびょう・しにやみ・しにやまい」で 罹ったら助かる見込みの無い病だと書いている 医療の進歩した現代でも スキルス性胃ガンだとか膵臓ガンだとか 不治の病はいろいろ有るのだった 昨日は奈良市医師会館で 市立奈良病院 呼吸器外科部長の寺内邦彦氏の 肺ガンについての解説を聴いたのだった 肺ガンで毎年七万人ほどの人が亡くなっているのだとか 手術も昔と違って小さな孔を開けて スコープを差し込み モニターを見ながらの手術なのだという そして今日は奈良病院で 呼吸器内科部長の小林厚氏の 息切れを起こす病気の解説を聴いた COPD(肺気腫)は喫煙者は減少傾向にあるものの 患者はこれから増えてくる見込みなのだという 講座が終わって帰宅したら家内の甥の嫁さんが肺ガンで亡くなったと電話があったという 皆死病にとりつかれて死んで行くんだなぁ ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-26 18:38
千巻心経 2012/05/25
寛文12年正月の14日 興福寺では「千巻心経」と呼ばれる心経会が開かれた 一乗院御用日記には「一 御祈祷 千巻心経有之 寺僧衆伺公 御振舞有之」と書かれている ところがこの千巻の巻の字が初めは堂に見えて 千堂心経と読んでしまった 辞書を調べても 千堂心経は載っていない しかし千僧供養が有るのだから千堂を動員する法会だって有るのだろう 興福寺は法相宗の御本寺のこと 末寺の数は千は超えるだろう と考えた しかし念のため千堂の堂に別の文字を入れられないだろうかと考えた そして千巻心経で再び辞書を引いたのだが これも辞書にはなかった 念のためにグーグルで検索したら 和歌山の長保寺が「般若心経の祈祷法」というのをアップしてくれていた 長保寺は海南市にある古刹で 紀州徳川家の菩提寺となっている寺だという 行ったことがないのだが 多分贅を尽くした結構なお寺なのだろう 本堂・塔・大門が国宝に指定されているのだという 機会を作って行って見たいものだ さて 堂も巻もくずし字では同じように見えるのだった 「般若心経の祈祷法」によると お寺での千巻心経の次第は 先ず三礼 出来れば五体投地 次 懺悔文 次 祈祷文 次 開経偈 次 般若心経読経 次 回向文 次 三礼で終了 だとある 一乗院門主の23才の真敬法親王は 寒い旧暦の1月14日の夜 興福寺の本堂で般若心経を唱えていたのだなぁ ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-25 21:12
図書情報館
昨日は図書情報館での定例ボランティアの日だった 行ったついでに調べたい事が沢山あったので いつものように早めの昼食を食べて家を出た 調べようと思っていたのは 一乗院御用日記に登場する幕臣たちについてだった 時の奈良奉行である溝口豊前守 それから鈴木三郎九郎 その子の鈴木重辰 目付千本兵左衛門 同中根宇右衛門 そのほかにも本寂上人だとか いろいろあったのだった 図書館の駐車場に車を入れて 3階にあがって まず書架から「柳営補任」を取り出して奈良奉行・京都町奉行について調べた 奈良奉行の溝口豊前守はすぐ見つかった 「寛文十戌二月廿八日御使番ヨリ 五百石御加増 高二千五百石 溝口源左衛門 豊前守 信勝 天和元酉十月廿二日辞」とある 大宮先生が最近書かれた本の中で 奈良奉行の溝口豊前守について触れておられる 奈良奉行はそれまでは奈良に常駐することが無く 普段は江戸にいて若宮の御祭りの時だけ奈良に来るという勤務態勢だったのが この溝口豊前守の時から 原則奈良常駐と改められたのだと書いておられた だから正月二月には奈良に居ても 参勤と称して江戸に帰ってしまうのだった 丁度今読んでいるところがそれだった さて 知行二千石から三千石というと 遠国奉行としては標準的なところだろうか もうちょっと時代が下ると知行ではなくて切り米百俵から三百俵という旗本ではキリのクラスから登用されるようになる 梶野良材や川路聖謨などだ これらのキリ-クラスの人たちは上昇志向が強くて 名奉行と言われて業績も残しているのだった 「柳営補任」を読んでいる間に ボランティアの時間になって 切り上げて一階に降りた さてさて 表題の鈴木大明神だ 日記には鈴木三郎九郎殿が何度か出て来る 人名事典などで調べると 鈴木三郎九郎は三河出身 通称が三郎九郎で重成というのが正しいらしい 天草四郎の島原の乱で 幕府軍の総大将の老中松平信綱にしたがって従軍 戦功を立てたことにより 乱鎮圧後の初代天草代官になった 百姓の側に立って 年貢の減免を幕府に要請して入れられず そのため江戸で割腹自殺したと言われている 百姓たちは後年三郎九郎と兄の鈴木正三 それから正三の子で三郎九郎の養子となった鈴木重辰の三人を鈴木大明神として 鈴木神社に祀ったのだという この三人の生年と死去年は 三郎九郎が1587-1653年 正三が1579-1655年 重辰が1607-1670年だから この日記が書かれた1672年には三人ともあの世にいたのだった ちなみに養子の重辰は三郎九郎のあとを継いで 天草の第二代の代官を勤めた そのあと寛文4年からは京都の代官も勤めたとある この日記に登場する三郎九郎とは一体誰なのだろう 養子鈴木重辰の子に鈴木重昌というのがおるらしい 多分それが養祖父の名を継いだのだとおもうのだが 人名事典などには載っていないのだった ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-24 10:16
車の入れ替え 2012/05/22
先日 出先でパワステが故障して JAFのお世話になった 結局EPSユニットを交換してまた乗れるようにはなったのだった ただいまの走行距離はおおよそ15万キロ そして今年の冬には15年目の車検が来るのだった いままでは故障らしい故障なんて無かったのだが これからはどうか判らないのだった エンジン音は快調で 走りには何の問題も感じさせないのだが 年老いた人が一見健康そうでも あちこち体の不具合に悩むように 経年の車は 目には定かには見えないが あちこちで摩耗・摩減 劣化が進行しているのだろう そしてある日 突然に走ることを拒否するにいたるのだろう やはり買い換えが必要なのかなぁ と 悩みに悩んだ末に 数日前ホンダのF氏に相談の電話をしたのだった こうして車に乗れるのも あとよくて2~3年というところだろう その2~3年を安心して乗れる安い車が欲しいのだった そして結局は百万ほどの中古車を買うことにしたのだが 考えて見ると 仮に3年乗るとすれば年50万程につく そしてこれに保険・税金・燃料・ETCと諸経費を加算すると ホント車って高くつくなぁ 免許を取って50年 いつも車を持って乗っていた B360 ファミリア スプリンター アコード パジェロ サニー そしてまたアコードといろんな車に乗ってきた いつも財布に相談して安価な車を買ってきた いつもホントに買いたい 乗りたい車は別にあったのだが そんなのは夢のまた夢だった 街中の中古車屋には 10万円を切る価格の車もある 安いから走らないかというと そんなことはない 不人気車種が古くなって 買い手がつかないから安いのだ しかしまぁ中古車は それまでにどんな乗り方 走り方をされたのかが判らない オイル交換などもせずに乗りつぶすような乗り方をされていることもある 車はいのちを積んで走っている そして もし暴走などして 他の車や歩行者などを傷つけるようなことがあってはならないのだった つまり ある程度信頼出来る 安心して乗れるものでなければならないのだった そう考えると 中古車でも百万ぐらいは要るのだろう まぁ車生活50年の締め括りとして 適当な車かどうかということだろうなぁ それは乗って見てからのことだなぁ ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-22 19:38
天晴か空晴か 2012-5-21
一乗院御用日記を読んで まず面食らうのは 日付の下に変な字が書いてあることだ 2文字で上の字はウ冠に人足儿を書いている 冘のような字だ 冗談の冗の異体字にこんな文字があったように思う あれこれ考えて これは天なのだと気づいた 天晴と書いているのだ 天は 音ではテンだが 訓ではアメ・アマ・アマツ・ソラと読む 天晴で多分ソラハレルと読ませたのだろう そう考えて18日に提出した翻刻文は全部天晴としたのだった しかしこの文字はウ冠だから 天ではなく空だろう 空晴と読むのだろうと 大勢はそのようになったのだった しかし どうも納得がいかない 天と空とは昔は違うものとして使い分けていたのではないか 我々の住む地の対極にある天はドームの天井のように観念されていたのではないか 晴天・雨天・好天・荒天などのように 晴れるのは空ではなくて天であり 雨は空からではなく天から降り 天水などという言葉もある 一方空は 空々しい 空しいなど 天とは違う意味合いで使用されてきた それが 近代科学で雲の高さや 飛行物体の飛ぶところとしての空間という意味で 空という言葉が使用されてきたと思われる 昔の人は 日記に天候をどのように書いてきたのか 手元にある「御堂関白記」で調べてみた そして6例ほど拾い出したが すべて皆 天晴で 空晴は1例も無かった もっと沢山の事例を調べなければ断定は出来ないのだろうが 一乗院日記も空晴ではなくて天晴だと思う さて天晴と書いて普通はアッパレと読ませる この語源はアワレだというのだが ここでいうアワレはモノノアワレであり悲惨の哀れではない あってほしいこと ゆかしいこと に 天晴の文字を当てたのだという 多分 晴天で気分爽快な状態がアッパレなのだろう ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-21 10:36
テレビ三昧 2012-5-20
朝 昨日買って来て冷蔵庫で干物に作っていた赤カマスを焼いて食った カマスは生を塩焼きしても旨いのだがが 背開きして塩を振って バットに並べて冷蔵庫に入れておくと 結構な干物に仕上がるのだった 一夜干しも旨いが2~3日置いて 水分が適当に抜けたものはもっと旨いのだった 朝飯のあとは いつものように「日曜美術館」を見た 今日のテーマは宮城県の生んだ彫刻家佐藤忠良氏でゲストは柳田邦男氏だった 宮城県の隣県 岩手県には同じく彫刻家の舟越保武氏がいた 帰省して仙台や盛岡の美術館に行ったことを思い出す 昼食のあとはこれもまたいつものようにテレビ囲碁対局を観戦した 今日の対局は 三村智保九段と謝依旻女流本因坊の対戦だった 謝依旻嬢に肩入れしているのだが 残念ながら投了 そのあとは たかじんのいない「たかじんのそこまで言って委員会」を見て 風呂に入り 晩飯にする こうして 何と言うこともなく 一日が過ぎて行くのだった ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-20 21:34
地を這う日々 2012-5-19
永いことブログを休んでしまったなぁ その間に 孫たちが遊びに来たし 娘も久しぶりに里帰りした 楽しいこともいろいろ有ったのに 一方では「一乗院御用日記」の翻刻が思うように進まず ひたすら文字を一字ずつ調べ 仏教用語を調べ と 精進一筋の日々だった 昨日18日は その苦心して仕上げた 翻刻を発表する日だった 読めない文字も まだいくつも残っているし 読めた文字も 言葉として理解出来ないところも残っていた しかし 読めなくて当たり前 開き直って無知無学の自分をさらけ出して 先輩諸氏の指導を受けようと覚悟し A4の7頁ほどに纏めて大宮先生にお渡ししたのだった 発表は トップバッターが 寛文12年正月元日から10日までを 今年新参のIさん そして同じく新参の私が11日から20日迄を そして先輩のこれもIさんが21日から末日までと 三人で一ヶ月分を読む予定だった しかし 予定は予定以外の何物でもなく 始めてみたら 10日の途中で時間切れ 30分延長したものの焼け石に水だった 自分の心づもりでは 発表を終えて気分一新と思っていたのに それが来月に繰り越しになってしまったのだった さて 一乗院のあった興福寺は 明治の廃仏毀釈で一旦廃寺になって 寺宝も文書などの資料も散逸してしまった 今見る興福寺は荒廃した寺跡に残されていた一部の建物群と 明治政府に懇願して再興されたものなのだ この一乗院御用日記が書かれた時 すなわち寛文12年の一乗院の御門主様は 一乗院宮真敬法親王で 後水尾天皇の第十六皇子だ 慶安2年(1649年)4月に出生して 同年12月に一乗院に入れられた 俗名は常淳・富宮 字は正覚 10才で得度して信敬を名乗り 寛文5年(1665年)16才で興福寺・清水寺の別当に補された したがって日記に「御門主様」「御門跡様」として登場する主人公は このときはまだ23才でしかない ちなみに同じ門跡寺の大乗院の御門主 信賀は真敬より7才年上で30才になったばかりの若さだった 真敬法親王は 黄檗山の隠元などと交流があり また狩野常信に日本画を学び 山水画・人物画をよくし また書・詩文にも巧みだったといわれる ▲ by ikutayasuhiko | 2012-05-19 14:50
図書情報館
昨日は「一乗院御用向日記」を持って図書情報館に行った この日記が書かれた時代の一乗院の門主は誰だったのか それはどんな人だったのかを調べたいと思ったのだった 興福寺の一乗院は大乗院と同じく摂関門跡寺院であり 当時は近衛家から門跡を出していることは判っているのだが この日記には門主様・門跡様とあるだけで その御名前は一切出てこないのだった この時代の各藩の藩主については かなり詳細に調べられて記録が残っている だからこの超ビッグな寺院の門主についても 一覧のようなものが出来ているのではなかろうかと期待して 図書情報館の「ふるさと」の書架の興福寺のあたりを見たのだが まったく期待外れだった (夜にネットで調べて 「続群書類従」の第4輯下 補任部に記載があるらしいことが判った) そのあとは いつものように「くずし字用例辞典」で読めない字や 読みがあやふやな字について調べた しかしこの辞典も読み方に見当がついていれば引けるので まったく見当の付かない字には効果がないのだった 大宮先生は忙しそうにしていたので 挨拶だけして帰宅した いろいろ反省して 「一乗院御用日記」を読むのと平行して この時代のほかの記録 たとえば「大乗院雑事記」などを読むことが 「一乗院御用日記」を理解するのに有効なのかも知れないと思った しかしこの暗闇を手探りで歩くような心細さはどうしたことだろうか ハウツーの無い世界に迷い込んでしまったなぁ ▲ by ikutayasuhiko | 2012-04-25 09:25
一乗院御用日記を読む
金曜日に先生からいただいた「一乗院御用日記」を拡げて ちょっと眺めてはため息を吐くことを繰り返している 近世の興福寺の一乗院と大乗院とは摂関門跡寺で 両院の門主が交互に興福寺の別当を勤め また時には皇子が門跡ともなる大和の超ビッグな寺なのだった さて この日記の表紙は「寛文十弐子年 御用向日記 御用部屋」となっていて 御用部屋の担当者である執事のような人が 毎日の記録をとっていたものらしい そして この日記を見ると 一乗院では毎日何かしらの行事があって 御門主様は超多忙だったことが知られるのだった 私の担当する1月11日から20日までについて ざっと目を通したのだが 1月11日は 嘉例の如く行列を作っての御社参だとある 社参とあるから春日大社に参詣したのだろうか そのあとは 嘉例により千堂心経があり 酉の刻からは修正会だったとある 12日は嘉例により 大般若経から祓まであり 寺僧・衆徒・社家・東大寺中・町年寄などに朝昼晩とお節を下されている そしてこの日は能と狂言が行われた 13日夜は修正会があり 14日は心経会があり この日は清水寺から使者が金子百匹を持参 門主様は御書院にて御対面されている 15日は左義長があり 16日からは御門主様は16人のお供を連れて上洛され 17日に参内された このあとは 御門主様が留守なので特別に大きな記事はないのだった 解読するに当たって 能・狂言などの古典芸能についての知識が まったくないものだから まず演目についての読み方から判らないのだった 三番叟なんて言葉は有名だから知ってはいても 能楽には五流があって 大蔵流では三番叟ではなくて三番三というのだと言うことなど 今回調べて始めて知ったのだった このほか 修正会などは今でもあちこちのお寺さんでやっているからわかるけれど 千堂心経や心経会などはどうやって調べたらいいのだろうか 生憎坊さんに知り合いはないし ホント前途真っ暗なのだった ▲ by ikutayasuhiko | 2012-04-23 14:00
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